生後2ヶ月の三男を連れてスーパーへ買い物に行った時のこと。 レジには長蛇の列ができ、いいかげん並ぶのにも疲れたなぁと思ったところへ隣のレジがオープンした。ラッキーとばかりにそちらへ移動し、レジの前にカゴを置いた瞬間、背後から猛スピードで駆けて来たオバハンがグイッとばかりに私の前に割り込んだ。 一瞬あっけに取られたが、そこで黙っていては女が廃る。 「すみません、並んでるんですけど」 けんか腰にならないようにやんわり抗議をしたところ、オバハン、キッ!とばかりに眉をつり上げ、 「あら!だって私が先に見つけたのよ!あなたがたまたま先にカゴを置いただけでしょ!」 と、鼻息も荒く言い放った。 どちらが先に見つけたのかなんて、言い合ったところで所詮水掛け論だ。肝心なのは見つけた順より、「どちらが先に並んだか」ではないか。ばばぁ、難癖をつけるにも程があるぞ! ――と、まさか口に出しては言わないが、精一杯不快の念をこめて彼女の顔を見返してやった。 私とて別に鬼ではない。急いでいるというのであれば、レジの順番くらいは喜んで譲る。 でも、それならそれで「急いでいるから順番変わって」のひとことくらいはあってしかるべきではなかろうか。何も言わずに割り込んでおいて、「私が先に見つけたのよ」では、こっちだって態度を固くせざるを得ない。 結局彼女は、「フンッ!」とばかりにきびすを返して靴音も高く隣のレジへと去って行ったが、去り際に何かブツブツと捨て台詞を吐いていたようだ。聞いちゃいなかったけどね。 「最近の若い者はなっとらん」 ――というのはオジジとオババの常套句だが、はっきり言って今の日本で一番礼儀がなっちゃいないのはオジジとオババじゃないかと思うのである。 |
|
国籍を偽る・偽らないという話が出ると、決まって出るのが「国籍を偽るのは国に対して誇りを抱いていないからだ」という理論。 「えーー、そうか?」 ……と思う部分がないでもないが、まぁ、広い視点から見ればそういう側面もあるだろう。 だからそれはいいのだが、そこから「だから国籍を偽る男は許せない!」というところに結びつける人が多いのは不思議である。なぜって、恋愛するのに相手の母国への誇りを気にする人なんて、実際の所それほどいるとは思えないからだ。 別に政治活動をするわけでなし、母国に誇りを持とうが持つまいがどうでもいいじゃん、と私だったら思うのだがどうだろう。熱烈な愛国者が必ずしも良い人であるとは限らないし、その逆もまたしかり。 第一そういう私自身、日本人であることにさしたる誇りを抱いているわけでもない。仮に恋人から、 「お前は日本に誇りを抱いていないから愛せない」 などと言われたら、えっ、なにそれ、と唖然とするだろう。 「母国への誇り云々」というのは、要するに手ごろなレトリックなのではないかと思う。 恋人に国籍を偽られれば、そりゃ誰だって腹が立つ。ところがその怒りを表現する段になると、多くの人がハッと立ち往生してしまう。というのは、くすぶる怒りの裏側に「まんまと男に騙されてしまった自分」「彼にとって、所詮口からでまかせを言える程度の女であった自分」を見つけてしまうからだ。実際にどうなのかはともかくとして、その瞬間にはそういうイメージが頭をよぎるのではないか。私の場合はそうだった。 あるいはそこで、「メジャーな国の人と付き合うことにヨロコビを感じていた自分」と対峙する人もあるだろう。 「欧米人だと思って喜んでいたのに、フタをあけたらマイナーな国の人でガッカリ」 ――そういう自分に気づき、自分の中にそういった意識が潜んでいたことに愕然とするわけである。 長い間欧米に追随してきた日本人にとって、それはある程度仕方のないことではある。ではあるが、多くの人はそういう自分を許せないだろうし、そんな俗っぽい感情が自分の「怒り」のメインパートであることを対外的に認めたくはないだろう。 要するに怒りの根源は至極人間臭いところにあるのだが、それを生のまま人目に晒すのはプライドが許さない。 「都合の悪い所を包んで隠せるオブラートはないものか」と見回すと、誰が言い出したのか「母国への誇り」という格好の理屈が目に入る。これ幸いと飛びつき、そのままそれを持論としてしまった――そういう人が、きっと少なからずいると思う。 もちろん、何らかの理由で愛国心を重んじる人もいるだろうから、全ての人がそうだとは言わない。でも、思い当たるところのある人は一度考えてみて欲しい。 「国籍を偽るのは母国を誇りに思わないからだ。私はそういう男を許せない」 ――一見もっともらしい理屈ではあるが、よ〜く噛み締めると、なんとなく不自然だとは思いませんか? |
三人目を出産してそろそろ一ヶ月。 新生児の子育てって、こんなにラクなものだったかなぁ…と首を捻りながら暮らしている。一人目で味わった、あの魔の三時間おき授乳の苦痛。あれは一体なんだったのだろう。一度乳をやれば7時間は熟睡するアカンボの横で、私は産後2日目から現場復帰して働いている。 退院当日病院帰りにダイエーで買い物をし、退院後四日目にはフラフラと一人でドライブをした。一週間をすぎた頃から、長男の送り迎えも始めている。あまりに体力が有り余っていて、部屋でゴロゴロなんてしちゃいられないのだ。 やりたいことをやっているせいか、今回はマタニティブルーとは無縁である。仕事も普通にしているけれど、ビックリするほど乳が出る。この分なら、三人目にしてようやく念願の母乳育児ができそうだ。 私の出産から遅れること20日、すぐ下の妹が女の子を産んだ。 男ばかり三人も産んだ姉をあざ笑うかのように、彼女は二人目の女の子に恵まれた。女が欲しいところには男ができ、男が欲しいところには女ができる。 「せめてダンナの国籍が同じだったらねぇ」(なにがせめてだ、何するつもりだ) と、お茶を飲みつつ愚痴を言う不届きな姉妹であった。 妹の長女は3歳になるが、退院初日からジェラシー満開。今後のヤキモチ旋風が懸念されている。 オモチャ箱からお気に入りの玩具を全て出し、「これは全部アタチの!赤ちゃんには貸してあげない!」と、部屋の片隅に隠しているという。 そういう画策が出来る割に、「アカンボがそんなもん欲しがるかよ」という所までは気が回らないあたりが、姪の愛らしいところでもある。 我が家の二人の兄ちゃんらは、この手のヤキモチを一切妬かない。 5歳になる長男はともかく、1歳半の次男のこのアッサリした態度。出産直前まで、私の腕枕でなければ眠らない甘ったれ坊主だったのに。この変貌振りには家族皆がたまげている。 次男は私が授乳するのを横で眺めるのが好きらしい。いつの間にやら傍に来て、腹ばいでヒジをついてニコニコと様子を見上げている。 「カーカーチャン、ヨチヨチ」と弟の頭をなで、返す手でおもむろに「パイッ!」と私の乳をつついたりする。ほのかな嫉妬と遠慮がないまぜになった表情に、 ――エムよ、お主も兄ちゃんになったのぅ―― と、甘酸っぱい感慨を抱く私である。 弟に対してはかようにクールな次男であるが、なぜか対・兄ちゃんにはモーレツなジェラシーを剥き出しにする。私がふざけて長男を抱き上げようものなら、繁殖期のクジャクのような雄叫びを上げて体重17Kgの巨体(兄ちゃんより重い)で体当たりをかましてくる。若干1歳半の幼児のくせに、兄と弟の違いを自分なりに解釈しているのだろうか。子供って面白い。 夜、狭い6畳間に三人の子供を並べてみると、ああ、私って三児の母になっちゃったんだなぁ、という実感がヒシヒシと胸に込み上げてくる。 何の計画もなしに産んじゃったけど、これから20年、この子たちを食わせていかなくてはならないのだなあ――そう思うと、この細い両肩(どこが)にズッシリと重みを感じる。 でも、その重みはとても甘美な重みでもある。 |
|
|
|
|
|
|
| PerlDiary Ver.1.03 |