雑記帳


2002/08/20(火) 16:07:35


礼儀とは



生後2ヶ月の三男を連れてスーパーへ買い物に行った時のこと。
レジには長蛇の列ができ、いいかげん並ぶのにも疲れたなぁと思ったところへ隣のレジがオープンした。ラッキーとばかりにそちらへ移動し、レジの前にカゴを置いた瞬間、背後から猛スピードで駆けて来たオバハンがグイッとばかりに私の前に割り込んだ。

一瞬あっけに取られたが、そこで黙っていては女が廃る。
「すみません、並んでるんですけど」
けんか腰にならないようにやんわり抗議をしたところ、オバハン、キッ!とばかりに眉をつり上げ、
「あら!だって私が先に見つけたのよ!あなたがたまたま先にカゴを置いただけでしょ!」
と、鼻息も荒く言い放った。

どちらが先に見つけたのかなんて、言い合ったところで所詮水掛け論だ。肝心なのは見つけた順より、「どちらが先に並んだか」ではないか。ばばぁ、難癖をつけるにも程があるぞ!
――と、まさか口に出しては言わないが、精一杯不快の念をこめて彼女の顔を見返してやった。


私とて別に鬼ではない。急いでいるというのであれば、レジの順番くらいは喜んで譲る。
でも、それならそれで「急いでいるから順番変わって」のひとことくらいはあってしかるべきではなかろうか。何も言わずに割り込んでおいて、「私が先に見つけたのよ」では、こっちだって態度を固くせざるを得ない。

結局彼女は、「フンッ!」とばかりにきびすを返して靴音も高く隣のレジへと去って行ったが、去り際に何かブツブツと捨て台詞を吐いていたようだ。聞いちゃいなかったけどね。


「最近の若い者はなっとらん」
――というのはオジジとオババの常套句だが、はっきり言って今の日本で一番礼儀がなっちゃいないのはオジジとオババじゃないかと思うのである。



2002/07/25(木) 08:01:03


赤ちゃんを母乳で育てていると、ふっと不思議な気持ちになることがある。十月十日私の腹の中にいて、今は私の体から出る液体を飲んでいる。この子って、現時点では生物学的に私と同じ成分で出来てるんだろうなぁ、と思うのだ。
だからどうだというわけでもないが、そう考えると可愛さもひとしおなのである。これって一種の自己愛だろうか。

入院直前に脱稿し、出産翌日から病室で校正して仕上げたPerlの入門書が本日発売されるらしい。私がデザインしたわけではないが、編集者さんいわく「洋書を意識してお洒落に仕上げた」という話である。書店で見かけた方は、ぜひ手にとって平台に移動しておいて下さい(冗談)。

http://www.cbook24.com/bm_detail.asp?sku=4883373258

表紙の男の子はうちの息子、ではモチロンなくて、全然知らないよその子である。フーセンガムがちょっと邪魔だが、なかなか将来楽しみなハンサムぶりではある。どこの誰かは知らないけれど、どなたか彼を見かけることがあったら、丸の内とらが宜しく言っていたとお伝えください。


現在時刻は午前8時5分。
何気なく背後を振り返ったら、三人の子供が皆同じポーズで寝ていて驚いた。寝相も遺伝するものナリ。



2002/07/22(月) 12:44:28


国籍を偽る


国籍を偽る・偽らないという話が出ると、決まって出るのが「国籍を偽るのは国に対して誇りを抱いていないからだ」という理論。
「えーー、そうか?」
……と思う部分がないでもないが、まぁ、広い視点から見ればそういう側面もあるだろう。

だからそれはいいのだが、そこから「だから国籍を偽る男は許せない!」というところに結びつける人が多いのは不思議である。なぜって、恋愛するのに相手の母国への誇りを気にする人なんて、実際の所それほどいるとは思えないからだ。
別に政治活動をするわけでなし、母国に誇りを持とうが持つまいがどうでもいいじゃん、と私だったら思うのだがどうだろう。熱烈な愛国者が必ずしも良い人であるとは限らないし、その逆もまたしかり。
第一そういう私自身、日本人であることにさしたる誇りを抱いているわけでもない。仮に恋人から、
「お前は日本に誇りを抱いていないから愛せない」
などと言われたら、えっ、なにそれ、と唖然とするだろう。


「母国への誇り云々」というのは、要するに手ごろなレトリックなのではないかと思う。
恋人に国籍を偽られれば、そりゃ誰だって腹が立つ。ところがその怒りを表現する段になると、多くの人がハッと立ち往生してしまう。というのは、くすぶる怒りの裏側に「まんまと男に騙されてしまった自分」「彼にとって、所詮口からでまかせを言える程度の女であった自分」を見つけてしまうからだ。実際にどうなのかはともかくとして、その瞬間にはそういうイメージが頭をよぎるのではないか。私の場合はそうだった。

あるいはそこで、「メジャーな国の人と付き合うことにヨロコビを感じていた自分」と対峙する人もあるだろう。
「欧米人だと思って喜んでいたのに、フタをあけたらマイナーな国の人でガッカリ」
――そういう自分に気づき、自分の中にそういった意識が潜んでいたことに愕然とするわけである。
長い間欧米に追随してきた日本人にとって、それはある程度仕方のないことではある。ではあるが、多くの人はそういう自分を許せないだろうし、そんな俗っぽい感情が自分の「怒り」のメインパートであることを対外的に認めたくはないだろう。


要するに怒りの根源は至極人間臭いところにあるのだが、それを生のまま人目に晒すのはプライドが許さない。
「都合の悪い所を包んで隠せるオブラートはないものか」と見回すと、誰が言い出したのか「母国への誇り」という格好の理屈が目に入る。これ幸いと飛びつき、そのままそれを持論としてしまった――そういう人が、きっと少なからずいると思う。

もちろん、何らかの理由で愛国心を重んじる人もいるだろうから、全ての人がそうだとは言わない。でも、思い当たるところのある人は一度考えてみて欲しい。
「国籍を偽るのは母国を誇りに思わないからだ。私はそういう男を許せない」
――一見もっともらしい理屈ではあるが、よ〜く噛み締めると、なんとなく不自然だとは思いませんか?




2002/07/21(日) 13:48:07


産後雑感


三人目を出産してそろそろ一ヶ月。
新生児の子育てって、こんなにラクなものだったかなぁ…と首を捻りながら暮らしている。一人目で味わった、あの魔の三時間おき授乳の苦痛。あれは一体なんだったのだろう。一度乳をやれば7時間は熟睡するアカンボの横で、私は産後2日目から現場復帰して働いている。

退院当日病院帰りにダイエーで買い物をし、退院後四日目にはフラフラと一人でドライブをした。一週間をすぎた頃から、長男の送り迎えも始めている。あまりに体力が有り余っていて、部屋でゴロゴロなんてしちゃいられないのだ。
やりたいことをやっているせいか、今回はマタニティブルーとは無縁である。仕事も普通にしているけれど、ビックリするほど乳が出る。この分なら、三人目にしてようやく念願の母乳育児ができそうだ。


私の出産から遅れること20日、すぐ下の妹が女の子を産んだ。
男ばかり三人も産んだ姉をあざ笑うかのように、彼女は二人目の女の子に恵まれた。女が欲しいところには男ができ、男が欲しいところには女ができる。
「せめてダンナの国籍が同じだったらねぇ」(なにがせめてだ、何するつもりだ)
と、お茶を飲みつつ愚痴を言う不届きな姉妹であった。

妹の長女は3歳になるが、退院初日からジェラシー満開。今後のヤキモチ旋風が懸念されている。
オモチャ箱からお気に入りの玩具を全て出し、「これは全部アタチの!赤ちゃんには貸してあげない!」と、部屋の片隅に隠しているという。
そういう画策が出来る割に、「アカンボがそんなもん欲しがるかよ」という所までは気が回らないあたりが、姪の愛らしいところでもある。

我が家の二人の兄ちゃんらは、この手のヤキモチを一切妬かない。
5歳になる長男はともかく、1歳半の次男のこのアッサリした態度。出産直前まで、私の腕枕でなければ眠らない甘ったれ坊主だったのに。この変貌振りには家族皆がたまげている。
次男は私が授乳するのを横で眺めるのが好きらしい。いつの間にやら傍に来て、腹ばいでヒジをついてニコニコと様子を見上げている。
「カーカーチャン、ヨチヨチ」と弟の頭をなで、返す手でおもむろに「パイッ!」と私の乳をつついたりする。ほのかな嫉妬と遠慮がないまぜになった表情に、
――エムよ、お主も兄ちゃんになったのぅ――
と、甘酸っぱい感慨を抱く私である。

弟に対してはかようにクールな次男であるが、なぜか対・兄ちゃんにはモーレツなジェラシーを剥き出しにする。私がふざけて長男を抱き上げようものなら、繁殖期のクジャクのような雄叫びを上げて体重17Kgの巨体(兄ちゃんより重い)で体当たりをかましてくる。若干1歳半の幼児のくせに、兄と弟の違いを自分なりに解釈しているのだろうか。子供って面白い。


夜、狭い6畳間に三人の子供を並べてみると、ああ、私って三児の母になっちゃったんだなぁ、という実感がヒシヒシと胸に込み上げてくる。
何の計画もなしに産んじゃったけど、これから20年、この子たちを食わせていかなくてはならないのだなあ――そう思うと、この細い両肩(どこが)にズッシリと重みを感じる。
でも、その重みはとても甘美な重みでもある。



2002/05/31(金) 21:04:25


今朝上の息子を保育園に送っていったら、同じクラスの女の子が4人ばかり彼のまわりをとりまき、
「ビビ!ビビ!」
――と袖を引くやら手をひっぱるやらの大騒ぎ。
慕われているのかいじめられていたのか、あるいは単にからかわれていただけか。そのへんのところは定かではないが、まとわりつくおなご衆にヒラリと右手を一閃し、
「おまえら、しつこいぞ!」
と言い放った彼の姿は、我が子ながらなかなかりりしくたのもしかった。

息子よ、その調子で強くたくましく育っておくれ(笑)



2001/08/04(土) 23:25:33


ビビちゃんを連れてお祭りへ行った。
甚平さんを用意して楽しみにしていたダーリンは、残念ながら夏風邪をひいてダウン。私一人で息子二人は大変なので、エム君とお留守番をしていただくことにした。
ビビちゃんは3時頃から楽しみにしていた割に、昼寝をしなかったためか出発する頃にはすっかりおねむ。それでもどうしても行くというので、母子して眠い目をこすりながらの祭り参加と相成った。

この町内の夏祭りにでるのは、ひょっとすると15年ぶりくらいになるかもしれない。
その懐かしき祭りにおいて、盆踊りの曲目がかつてとほとんど変わっていないのに驚いた。炭坑節、アラレちゃん音頭、春駒節、ビューティフル・サンデー。この四曲がかわるがわるに流れる中、町内会のご婦人方が法被姿で踊ってらっしゃる。
アラレちゃん音頭にビューティフル・サンデーですよ。1980年代以降にお生まれの方なんて、下手するとご存知じゃないでしょう、そんな曲。しかもご丁寧に、ビューティフル・サンデーのバックで芸能保存会の皆さんが和太鼓を叩いてござる。
和太鼓をバックに従えたビューティフル・サンデー。これぞ地方の夏祭りならではの贅沢な夏の風物詩、ってやつでしょうか。いや、久しぶりに珍しいものを見せていただきました。



2001/08/04(土) 10:34:47


国際結婚するのはルックスいまいちの人が多いとか、変わり者が多いとか、そういった意見をたまに耳にする。このことについて、私は長年不思議に思ってきた。
私自身に関していえば、確かにルックスはいまいち(いま三くらいか)だし、稀代の変わり者でもある。したがって、それについては異論はない。まぁ、私のことはどうでも良いか。

世間一般を考えた場合、国際結婚組にばかり変わり者が多いという気はしない。変わった人も確かにいるけど、どっちかといえばごく普通の人の方が多い。ルックスだって取り立てて言うほど劣っているとは思わないし、むしろオッと思うような美男美女も多い。そもそもルックスいまいちのカップルなんて、絶対数からしたらむしろ日本人同士にこそ多いはずだ。人類の大半はルックスいまいちなんだし。
一般論として唱えるには、いささか説得力に欠ける意見だと思うのである。

にもかかわらず「国際カップルブスばかり」説が横行するのはなぜか。
最近になって私は、その根底に「外国人に対するほのかな憧れ、および外国人と付き合う人間への羨望とやっかみ」が潜んでいるのではないかという事に思い至った。
つまり「憧れのカッコイイ外国人」を基準に考えるから、その横にいる「割と普通な日本人」を必要以上に劣った存在として捉えててしまうのである。あえて思い至るほど斬新な意見でもないが。

たとえば街中で外国人を見かけたある人は思う。
――わぁ、かっこいい外人さん(って言葉は最近使っちゃいけないそうですね)。あんなハンサムと一緒にいられたらさぞかし毎日が楽しいだろうな。あら?横に女がいるわ……わっ、何よあれ。ぜんぜん普通じゃない。私の方がよっぽどマシだわ、なによブスの癖に外国人とつきあうなんて生意気な。かわいそうにあの外人さん、日本人の判断基準がわからないから、日本人なら誰も選ばないような女にひっかかっちゃったのね――

あるいはかわいいハーフの子供を見て、
――きゃー、かわいい子。やっぱりハーフの赤ちゃんってかわいいわ〜。それに引き換え、なによあの平凡な母親。ちょっと可愛い子を産んだからっていばっちゃって(<--別に威張ってはいない)」

日本人と結婚してりゃ「普通の奥さん」「普通の母さん」でいられていたものを、パートナーに「ハンサムな外国人」を選んで「かわいいハーフの子供」を産んだばかりに、不要なやっかみと貶めに会ってしまうわけだ。いわば有名税のようなものか、ってどこがだ。
まぁ全てがそうだというわけではないだろうけど、こういうケースも多いのではないか。
現に「ハンサムじゃない外人さん」を夫に持った私は、特にそういった言葉を吐かれた記憶はない。
不男醜女のベストマッチカップル、とか思われていたりして。とほほ。




2001/08/04(土) 10:32:46


お祭りのシーズンがやってきた。
私たち一家が居住している町内でも、今夜公民館でお祭りをやるという。
「ビビちゃんとエム君を連れて行こうか」
と夫を誘ったら、いいよ、いこういこうと言う。彼は根っからのお祭り男なのだ。以前購入した甚平さんを出してきて、これ着ていこうかな、とはしゃぐ。はしゃぐ一方で私に向かってこんなことを言った。
「ホニーもお祭りのフク着たら?ほら、あのヨカッタとか夕方とかいうヤツ
アナタ、それをいうなら浴衣でしょう、ゆ・か・た。



2001/06/09(土) 11:55:01


ボランティアをしている父が、福祉センターの若い子に頼まれたとかで、夫の読み古した新聞を持っていった。なんでもペンキをスプレーして壁に貼り、インテリアにするのだそうだ。

英字新聞にファッション性を見出す気持ちは、あながち理解できないこともない。
かくいう私も10代の頃、「英字新聞でプレゼントをラッピングするとオシャレ〜!」……とかいう雑誌記事にノセられて、丸善でニューヨーク・タイムズを買った覚えがある。だから「英字新聞を壁に貼りたい」という彼を嘲笑うつもりは毛頭ない。ないのだが、何を隠そうウチの英字新聞はデイリー読売だ。そこに載っている記事は単に一日前の読売新聞を英訳しただけのものであり、本質的には日本の新聞と何ら変わりがない。「小泉氏が首相に就任!」(<--英語)というヘッドラインの下で自民党のオッサンたちが笑っていたり、テレビ欄には伊東四郎がアップで登場したりするわけだ。
伊東四郎だよ、伊東四郎。それでいいのか若者よ、という感じである。本人がいいというなら私がとやかくいう事ではないのだが、妙な罪悪感を感じてしまうのはなぜだろう。まぁ、伊東四郎付きの英字新聞というのもそれはそれで洒落ているかもしれない――ということで納得しておくことにしよう。



2001/05/02(水) 17:42:17


子供というのは、2〜3歳を過ぎた頃から驚くべき速さで言葉を覚え始める。
大人の会話、テレビアニメのセリフ、コマーシャルソングetc. ありとあらゆる場面から言葉を吸収し、貪欲なまでに自分のボキャブラリーに加えてゆく。ところがそうしたボキャブラリーは基本的に全て「耳から仕入れた情報」であるため、時にとんでもない思い違いをしていたりして面白い。
たとえば我が家の上の息子は「バナナが一本ありました〜♪」という歌が好きなのだが、この歌の三番にある「それは大変一大事」というのを、どう教えても「それは大変うしがえし」と歌う。それは違うよ、と正してはいるのだが、何か思う所があるらしく頑固にうしがえしを貫いている。

こういう思い違いは大人にもよくあって、たとえば私は割と最近まで「菊正宗」のことを「キクマ サムネ」だと思っていた。三重県在住の某友人は「津ボート」を「ツボート」という会社の名前だと長いこと信じて疑わなかったらしいし、これはちょっと違うけど、「59.800円の按摩器」のことを「超高級ドラ焼き(餡巻き)」だと勘違いしていたという人もいる。

ところで、言葉の思い違いとくれば国際結婚カップルのオハコである。
我が家にも色々と笑える思い違いエピソードがあるのだが、なんと言っても秀逸なのは、
「ホニー、日本のバスの運転手って、どうしていつもウンコしておりますー、ウンコしておりますーっていうの?」
というヤツだろう。ウケ狙いだったとしてもハマリすぎだ。他にも「南無妙法蓮華経」を「マリオレンゲレンゲ」だと思っていたとか、歩行器をポポンキだと思っていたとか、「肉って新鮮だからフレッシュっていうんだよね」とか、この手の話は枚挙に暇がないのだが、ま、あまり身内の恥をさらすのもなんだからこの辺でやめておくことにしましょうか。



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