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Worked & Confirmed DXCC Countries
私が交信した国々
Since 1980
Red = Worked only

[Asia]
Azerbaijan, As.U.S.S.R., Cambodia, China, East Malaysia, Iran, Hong Kong, India, Israel, Japan, Jordan, Kazakh, Korea, Macao, Mongolia, Pakistan, Philippines, Singapore, Srilanka, Taiwan, Thailand, Viet Nam
Nepal
[Eourop]
Aland Is., Andorra, Armenia, Austria, Balearic Is., Belgium, Bulgaria, Canary Is., Corsica, Cyprus, Czechoslovakia, Denmark, East Germany, England, Estonia, Eu.U.S.S.R., Finland, France, Hungary, Italy, Kaliningradsk, Kerguelen Is., Latvia, Lithania, Luxemburg, Malta, Norway, Netherlands, Nothern Ireland, Poland, Portugal, Romania, Scotland, Spain, Sitzerland, Svalbard, Sweden, Ukraine, Uzbek, West Germany, Wales, White Russia, Yugoslavia
Greece, Ireland, Moldavia
[Africa]
Algeria, Chagos Is., Gabon, Liberia, Mauritius, Oman, South Africa, Tanzania
Agalega.&St.Brandon, Azores Is., Djibouti, Gibraltar, Madeira Is.
[Oceania]
Antarctic, Australia, Christmas Is., Cocos Is., Eastern Carolin Is., Guam, Hawaii, Indonesia, Lord Howe Is., Brunei, Minami Tori-shima, New Caledonia, Ogasawara Is., New Zealand, Reunion, West Malaysia
French Polynesia, Haiti, Norfolk Is., Northern Marianas, Papua New Guinea, Western Samoa
[North America]
Alaska, Canada, Nicaragua, Puerto Rico, U.S.A.
[South America]
Argentina, Brazil, Colombia, Mexico, Uruguay
Chile, Ecuador

Confirmed DXCC Countries are 99
Worked DXCC Countries are 121




シャックの推移

1980年 開局当時
私のシャック '80年
 張切っていました(私も若かった)。TS−820・R−820のフルラインを揃え、毎晩ウッドペッカー(ソ連の軍事レーダーのノイズ)や外国の受信妨害電波に悩まされながらDXを楽しんでいました。米ソ両陣営による冷戦の最中だった当時は、今では想像もできないお空の環境でした。


1982年 PC購入
私のシャック '82年
 漢字の使えるパソコンPC−8801(漢字は使えるようになりましたが、未だ完全なワープロソフトは有りませんでした)が発売になり、早速購入しました。私のパソコンライフの始まりです。アプリケーションソフトは無いに等しい状況で、皆BASICでソフトを作り使っていました。この経験が、今ホームページ作りに大変役立っています。


1998年 現在
私のシャック '98年
 簡単になってしまいました。TS−940SとIC−375Dの2台が机の上に小さくまとまっています。アンテナも20メートル高タワー(スライド式クランクアップ)の21MHzモノバンドヤギと屋根に15メートル高のトライバンド(14・21・28MHz)がありましたが、保守に危険が伴うので、屋根のトライバンドは下ろしてしまいました。


2003年 遂にタワー解体
私の無線塔 切り刻まれた無線塔
 平成15年(2003)、我が家の目印になっていた無線塔をついに解体しました。地上高20メートルの鉄塔も2トン車の荷台に軽く並ぶ程度の量になってしまいました。


思い出すことなど

1980年にアマチュア無線技術士の資格を取り無線局JF2WBGを開局以来アマチュア無線は数々の思い出を私に残してくれました。
当時私には車椅子で生活をしていた病弱な子供がいました。学校へは通っていましたが普通の子供のように外で遊ぶことも出来ず家の中での生活が多く、将来は病院生活も余儀なくされることが予測されていましたので、彼と離れて生活をしなければならなくなった時の連絡手段として、また彼に外部への窓口を開いてやろうと言うのがアマチュア無線局開設のそもそもの動機でした。従って、当然家族全員が無線免許とり開局しました。
携帯電話の無かった当時、子供は無線を通じて多くの友達との交流ができましたし、家族の間では何時でも連絡を取り合うことが出来ました。特に、子供が入院生活を送るようになってからは病室と常に連絡を取り合うことができ私たち家族にとっては無くてはならない大事な連絡手段となりました。
もちろん、こうした実用的な利用だけではなく趣味の世界で私の人生を大変豊かなものにしてくれました。ご存知のように電波は、極端な云い方をすれば全宇宙に向かって飛んでゆきます。開局以来百数十カ国、数十万人の人と交信し沢山の友達もできました。
こうした交信の中から、いまだに私の心に深く残る印象深い出来事や出会や交流もたくさん生まれました。
しかし、時代は変わり、現在では、連絡手段は携帯電話に、国際的な情報交換や交流手段はインターネットへと大きく変わってしまいました。当然、私の無線機もここ数年全くスイッチを入れることも無く机の上で埃をかぶっていました。ただ長年使い馴染んできた無線機を机の上から片付けるのに忍びずいつか使うこともあるかも知れないと机の上に並べてあったのに過ぎない有様でした。
当然、こうなると庭の無線塔も無用の長物と化してしまいました。保守ができず古くなれば錆びて場合によっては倒壊ということも起きかねません。東海大地震が予測される昨今なおさら危険な存在になってしまいました。
また、家内からも息子はこうした趣味に全く関心がなく管理も出来ないので私が元気なうちに処分をしておいてほしいと注文をつけられていました。いつかは壊さなければと思っていた鉄塔のことを、大工さんに話したところ、早速解体を得意とする鉄骨屋さんを紹介してくれました。今までも、いろいろな人に解体をたずねてみましたが、足場を組んでとか、クレーンを使ってとか大げさな話になり、当然費用も法外なものになってしまい踏ん切りがつきませんでした。ところが、今回の鉄骨屋さんの見積もりは、私が予想していたより値打ち。早速壊してもらいました。
無線局のコールサインJF2WBGは、一度返納すると再度同じコールサインを取得することが困難ですので当分は残しておこうと思っています。ご存知かも知れませんが、無線局のコールサインは、世界中で同じコールサインは二つと無くJF2WBGと聞けば私を特定できるものなのです。

息子のコールサイン : JG2UOG (H.1 閉局)
家内のコールサイン : JG2UOB (H.14 閉局)


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