男の旅は一人旅 紀勢編 1
ここ数年、俺の脳裏に宿便のようにこびりついてはなれない気になる秘湯があった。
有久寺温泉。三重県南部・紀伊長島町の秘湯である。名古屋からも大阪からも
アクセスの悪いこの秘湯に妙にディープな臭いを感じていたのだ。
7月某日、ついにこの未知なる秘湯への旅を決行した。
お連れ様の車を強奪し、6時に大阪を出発。泉佐野から24号線で
奈良・五條方面へ向かい、五條から孤独で寂しい紀伊山地の
山道をひたすら南下する。2時間半ほど走り続けて奈良県十津川村に入り、
名所の谷瀬の吊橋で休憩することにする。広い川にかかる一本の細い吊橋。
渡り口に警告が貼ってある。「危険ですから一度に20人以上は渡れません」
のわー!俺が渡ってるときに後ろから20人の団体来たら死んでまうやないか!
と、そういう危険がないように渡り口の小屋には見張りのおっさんがいて、
人数制限をしているようだ。それにしてもこの橋、その頼りない構造、
眼下のはるか下にみえる川、やっぱりちょっとコワイのだ。

谷瀬の吊橋 20人以上渡れない
山道をさらに走り続け、そろそろ一風呂浴びたいんだけど、と思っていると
湯泉寺温泉に到着。共同浴場の「滝の湯」と「泉湯」は・・・。
のわー!10時オープンってことはまだ30分待たなかん!涙をのんで
今回はスルーすることにした。体が湯を渇望するやばい状態でしばらく進むと、
十津川温泉に到着。めざす蕨尾共同浴場は168号線沿いにあまりにも
あっさりと建っていた。建物も小さく看板もひかえめ。俺は近くの食堂のおばちゃんに
道を聞いていて注意して走っていたのでわかったが、知らない人なら絶対に通り過ぎる。
水色の「天然温泉」というのれんが目印だ。というか外観的な特徴はそれしかない。
受付のおばちゃんに入浴料300円を千円札で払うと、おばちゃん、ガマグチを取り出して
百円玉一枚づつ数えだした。運良くガマグチに入っていた700円を受け取ると浴室へ。
男子は1階、女子は地下1階が浴室のようだ。浴室はタイル貼のこじんまりしたもので、
浴槽も小さい。蛇口からちょろちょろと湯が注がれており、その蛇口には白い析出成分が
こびりついていた。無色透明の湯はナトリウム-炭酸水素塩泉。適温の湯で、
浴槽は深く、つかるとざばーっとあふれた。弱い硫黄臭に弱い硫黄味で、
浴槽の湯は無色透明だが蛇口から注がれた瞬間の湯は明らかに白濁している。
不思議な色の変化だ。のんびりと窓の外の山を眺めながらつかっていると、
3時間の運転の疲れが取れていくようだ。飾らない素朴な共同湯の雰囲気が気に入った。

蕨尾共同浴場外観 浴室
十津川温泉から辺鄙な道に入りもう少し進むと上湯温泉がある。
旅館・神湯荘で立ち寄り入浴することにした。
と、ものすごい急坂が行く手をはばむ。看板には「一速で登ってください」とある。
ギアを落とし、ゆっくりと登って駐車場に到着。山奥の鄙びた秘湯の宿を
勝手に想像していたのだが、鉄筋コンクリートの立派な宿でちょっと意外だった。
湯を請うと、日帰り入浴は少し離れた露天風呂に入ってくださいという。
鮎とヤマメの水槽がある裏手をまわっていくと、男性用露天風呂「水の神」があった。
その木造の脱囲小屋はかなりしぶい。服を抜いで小屋を出ると、湯船は岩でできており、
木々に囲まれている。湯は無色透明、肌触りがぬるぬるする。湯口にはコップがあり、
弱い硫黄の臭い、味はほぼ無味。熱めの湯で掛け流し。やわらかな肌触りが気持ちいい。
と、岩の上にヘビの抜け殻が。そういえばさっき「マムシに注意」っていう看板を見たぞ。
のわー。ぞぞーっとなって退散した。

神湯荘脱衣小屋 露天風呂
十津川をあとにし一気に勝浦まで行こうとしたが、腹が減って眩暈がしてきたので
途中の道の駅で休憩。しえー!ろくなもん売っとらん。しょうがないので
近くの屋台で大判焼きを買い、とりあえずこの場を凌いだ。
那智勝浦に着いたのは1時前。勝浦に来たら食堂ヤマキに行くことにしている。
そこで食べるのは鉄火茶漬とカマトロ握り。表面だけ温まって白くなったマグロの茶漬けと
ジュワーと口の中で溶けていく甘いカマトロ。涙の出る組み合わせだ。

カマトロ握り 鉄火茶漬
お腹が満足したところで一風呂浴びようと思ったが、勝浦地区の有名ホテルの立ち寄りは
15時からのところが多く、ちょっと時間があわない。少し車を走らせて、
湯川地区にいってみた。こがね湯という共同浴場を探して何度も往復したが見つからず、
旅館案内所で聞いてみると「こがね湯はもうやってませんよ。」
こらー、「まっぷるマガジン関西日帰り温泉2003年版」!廃業した施設いつまで載せとるんじゃー!
しょうがないので目の前にあった桜湯に入ることにした。新しいこぎれいな施設で、
畳の食事処も付いていた。タイルの浴室で露天風呂もある。まずは内湯へ。
無色透明無味無臭の湯。と、浴槽内の排水口に足が乗った瞬間、猛烈な勢いで
吸い込まれた。疑問の余地のない循環湯だ。露天風呂も同様の吸込口があった。
特に特徴のない循環湯にまったく興味が失せ、思いっきり頭洗って出てきた。
まっとうな湯川温泉の湯につかりたい、そう思った俺は、
以前訪れて気に入った入浴施設「ゆりの山温泉」を再訪した。
タイルの浴室に内湯がひとつ。ゴボッツゴボッとすごい音をたてて
湯口から掛け流される湯は38℃の硫化水素泉。卵のような硫黄臭。
「この温泉の湯は飲めます」といううれしい掲示。口に含むと硫黄味。
ほぼ体温と同じくらいと感じるぬるい温度がものすごく快適で、自分の肉体が
体液と一枚の皮膚になってしまったのではないかと思える気持ちよさだ。
ここの湯は良い!カランからは源泉がでっぱなし、湯上りに体がぽかぽかというのも
前回訪れたときと同じだ。やっぱりゆりの山温泉はいいなあ。もう一度言う、良い!
ゆりの山温泉の再訪で、あの感動よもう一度、という湯に
もうひとつ行くことにした。那智山の麓に湧く那智天然温泉。
浴室はこの前と同じビニールハウスのようなヴォールト屋根で、
色彩感覚を狂わせるオレンジ色のテントが張られている。
コンクリートの浴槽が源泉浴槽と加熱浴槽の2つに仕切られており、
塩ビ管の湯口から豪快に掛け流しになっている。無色透明の単純硫黄泉で、
卵のような硫黄臭と硫黄味。ぬるい温度がたまらない。広い池のような
混浴露天風呂は岩の湯船でこれまた気持ちいい。湯の鮮度はそれほどよくないと
思われる湯口から離れた男湯側でつかっていたが、それでも体に細かい
気泡が付いていた。あー、ぬる湯がたまらん。一枚の皮膚を境に、
温泉と体液の存在しか感じない。自己の存在さえ見失う気持ちよさだ。
露天風呂からあふれた湯は隣の温泉プールに引き込まれている。
プールは子供たちでいっぱいだった。いいよなあ、こんなプール。

那智天然温泉外観 露天風呂
勝浦を離れ、海沿いの道を北上する。メインの幹線道路から外れ、
海岸に沿って続く山すそを曲がりくねる細い道を走り、あたしか温泉をめざす。
もう嫌になるくらいのくねくねの細道だ。ようやくたどり着くと、
駐車場が閉鎖されている。え、今日は休館日じゃないのに。施設の前まで行くと、
ドアには本日休館の札がかかっていたものの、出入を拒むようにロープが
はりめぐらされており、どう見てもかなり長い間人が入った形跡がない。
明らかに廃業していた。おいこらー「まっぷるマガジン関西日帰り温泉2003年版」!
廃業した施設載せるなって!今日二度目やぞ!こんな走りにくい道
延々と通ってきてとっくに営業やめてました、ではショックでかすぎる。
思わぬ無駄足から気を取り直し、いよいよ最大の目的地・
有久寺温泉に向かう。ちょっと遅くなりそうだったので宿に電話をしてみる。
「予約した○クム○ですが、いま紀伊長島に入ったところで、
ちょっと到着が遅れそうです。」
「○クム○さん?何名さまで料金コースはおいくらのご予約でしたか?」
「一人で一万円のはずですが・・・。」
「では気をつけてお越しください。」
なんだか妙な対応だとは思ったが、なんとか早く着きたいとの一心で
あまり気にも留めなかった。が、このとき俺はこれから起こる
とんでもない事態をまだ知る由もなかったのだ。
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