男の旅は一人旅 島根編 2
大田市と江津市の間に位置する温泉津(ゆのつ)は文字通り温泉と津(港)で栄えた
海辺の街。温泉津港は江戸期には石見銀山の積み出しや北前船が寄港するにぎやかな
港だったという。いまでは鄙びた温泉街が500mほど続く町並みが残っており、
時が止まったかのような湯治場である。この温泉街に今夜の宿・長命館がある。
木造3階建て、渋すぎる外観、味のあるまわり階段、昔のまんまって感じの宿だ。
この長命館は道をはさんだ向かいにある共同浴場・元湯泉薬湯が直営する湯治宿。
風呂はこの元湯泉薬湯を利用するため、宿に内湯はない。共同浴場を外湯として利用する
内湯をもたない宿が温泉街を形成する、これが昔からの本来の温泉街の姿であり、
ここ温泉津はいまでは少なくなったそんな温泉情緒を色濃く残している。
長命館の宿泊者は宿で入浴用の札をもらって元湯を利用することになっており、
浴衣に着替えてさっそく筋向かいの共同湯へと急いだ。

温泉津温泉街 長命館の渋い玄関

木造3階建ての宿泊棟 渋い階段
温泉発見の逸話には動物が出てくることが多いが、ここ温泉津温泉は傷ついたタヌキが
湯で傷を癒しているのを旅の僧侶が発見したと伝えられている。元湯泉薬湯はコンクリートの
建物の玄関に立派な唐破風がついており、その上にはタヌキの彫刻が施されていた。
番台のおばあちゃんに札を渡して中にはいると、脱衣場には地元の人たちが
置きっぱなしにしている入浴道具が棚に整然と並んでおり、地域に密着した共同浴場の姿を
こんなところに見ることができる。浴室に突入してかけ湯をすると「うぉあぢぃ!」。
火傷するわ!と思うくらい強烈な熱さだ。よく見ると、成分で赤茶色にゴテゴテになった湯船は
3つに仕切られており、すわり湯、ぬるい湯、熱い湯に分かれている。俺は愚かにもいきなり
熱い湯に入ろうとしてしまったのだ。温度計を見ると、ぬるい湯は44℃、そして熱い湯は
なんと46℃!そら熱いわ!とりあえずぬるい湯につかる。これでも充分熱い。湯は緑褐色の
笹濁り。含土類食塩泉で、金気味に加え塩味を感じる。じっくり体を慣らしたら、熱い湯に挑戦。
一気につかると、体中がじーんとしびれ、身動きできない。湧出地から1、2mしか
離れていない湯船には湧いたばかりの49℃の湯がそのまま注がれている。新鮮な湯を
供給することで薬効が劣化しない湯につかってもらおうという湯治場の共同湯の
思想が感じられる。すばらしい湯だ。

元湯泉薬湯外観 入り口まわり
宿に帰ると夕食。さすがは日本海の港町。刺身、もずく、ブリ、そしてカニ!
カモの鍋もあり、おいしい食事だった。この日はなんと、宿に松江の女子校のハンドボール部が
大挙して泊まっていた。体育会系女子高生が温泉に合宿に来て静かにしとるわけがない!
お前らこんな歴史ある湯治宿に合宿しにくるな!俺はまだいいけど、
ホントに病気療養してる人だっておるだろうが!といいたいのを我慢してさっさと寝た。

夕食
翌朝早起きし、元湯の斜め向かいにあるもうひとつの共同湯・薬師湯へ。コンクリートの
シンプルな外観はアールデコ調。営業開始の5時に行き、当然俺が一番風呂だと思ったが、
もう6人ほど入っていた。温泉津の朝は早い!この薬師湯は1872年の浜田地震を
きっかけに湧出した46℃の含石膏弱食塩泉。もちろん源泉そのまま湯船に注がれているが、
その湯口は地震にちなんでナマズをデザインしたものとなっている。浴室には5,6人
入れそうな小さな小判型の浴槽が中央に一つ。浴槽の縁は成分でコテコテになっている。
湯は元湯よりはぬるめで入りやすく、緑褐色、金気臭、金気味と塩味。
地元の人がそうしているように、じわりと温まっては体を冷まし、何度も何度もつかる。
ヒゲを剃ろうとおじいちゃんに石鹸を貸してくれるように頼んでみると、
「えっと使いんさい。」「えっと」というのはたくさんの意。こういうときに
映画「仁義なき戦い」で得た広島弁の知識が役に立つ。
薬師湯を後にし、元湯泉薬湯の湯につかってから宿に戻って朝食を取り、宿を出発した。

薬師湯外観 入口まわり
有福温泉は江津市と浜田市の中間の山あいに湯煙を上げる温泉地である。
斜面に対して雛壇上に温泉街が形成され、坂や石段が多く「山陰の伊香保」とも呼ばれている。
ここで共同浴場・御前湯に入浴。アーチ窓、木の番台などがレトロな感じの白いタイル貼りの
建物である。浴室にはいると中央にほぼ正方形の浴槽、その中央の石の湯釜から3本の塩ビ管が
突き出ており、湯が掛け流しになっている。無色透明無味無臭の湯はアルカリ性単純温泉。
アルカリ性らしいつるつる感も少し感じられる熱めの湯。浴後のさっぱり感はさすがの名湯だ。
調子に乗って別の共同湯・さつき湯にも入り、さらに調子に乗ってやよい湯にもはいってみた。
やよい湯は無人の共同浴場で、急な階段を下りて浴室へ。小さな湯船に無色透明の湯が掛け流し。
つかるとざばーっとあふれて気持いい。湯は他の2つの共同浴場よりつるつる感が強く、
温度も一番ぬるめ。人もほとんど来ないのでのんびりでき、有福では一番ここが気に入ってしまった。
このやよい湯の隣の土産物屋で、有福名物の膳太郎餅を食べてみた。あんにもヨモギが
練り混んであるという草餅で、かなりうまい。

御前湯外観 入口まわり

やよい湯外観 浴室
有福温泉からさらに山奥へとすすみ金城町へはいると、めざす美又温泉に到着。山奥の
寂しい温泉だと思っていたら、旅館や土産物屋で慎ましい温泉街が形成されていて意外だった。
案内板をみて、「元湯」という言葉にひかれて美又温泉会館の湯につかることにした。
L字型の浴槽内に高低差がつけられ、深いところと浅いところができている。
40℃のアルカリ性単純温泉が掛け流し。ぬるくて気持ちよく、肌触りはぬるりとする。
予想外のいい湯だ。アクセスがしにくいため知名度は低いが、泉質は有福に全然負けてない。

美又温泉街 美又温泉会館外観
美又温泉から山中のくねくね道を通って浜田市街へ出ると、浜田市世界こども美術館へ
行ってみた。設計は島根県が生んだ日本でもっとも危険な建築家の一人・高松伸。
大学時代、高松の建築を見に山陰をまわった思い出が蘇った。高松伸の作品はできた当時は
ぴかぴかできれいだが、数年たつと汚れるわさびるわで変わり果てた姿になってしまう、
というのが常だが、この美術館はまだ白くきれいな外観をたもっていた。
海をのぞむ丘に建つというロケーション。横長長方形のヴォリュームが曲線で上部の白い壁と
下部のガラス面にわけられたきれいなファサード。中に入るとまずエレベータで5階へ。
そこからスロープで4階へと下りていく。外観で言うと上部の白い壁の部分に相当し、
窓がなくいかにも展示室といった感じの空間となっていてちゃんとした絵が展示してある。
4階までおりると、3階へは再びエレベータで下りるようだ。すごくイマイチな動線計画。
3階以下は開放的で明るく、海の見えるギャラリーになっていて、自然光があたって劣化しようが
どうでもいいような、地元幼稚園の子供の絵などが展示してある。なーんや、外観で見えた
あのきれいな曲線は、内部空間ではほとんど意識されないやん。もったいない気がする。
それにしても島根県浜田市になぜ世界こども美術館なのか。
浜田市民にもわからない永遠の謎である。

浜田世界こども美術館 内部空間
浜田市には大学時代の後輩が住んでいた。今は出雲市へ転勤になったというその後輩に、
いい飯屋はないかと電話してみたがつながらない。しょうがないので浜田漁港にある
浜田おさかなセンターというところの2階レストランへ行くと、あんたらよう並ぶねえ、と
言いたくなるくらいの大行列。1階へ降り、寿司コーナーでウニの握りを買って食べた。
とろけるような濃厚なウニはめちゃめちゃうまい。やっぱり港のものはうまいと感じる。
がりっと固いものが歯に当たり、見てみるとウニのトゲの破片だった。
ここで獲れたものをここでさばいたっていう証拠みたいなもんで、これも漁港ならではだ。
国道9号線をさらに西へと走り、益田市に入ったあたりで右折。きれいな海岸沿いに
建っている荒磯温泉荒磯館へ到着した。露天風呂へ行くと、海に向かって開放的な
岩風呂で、無色透明の湯が満たされており、湯口周辺は赤茶色に変色している。
けっこうぬるめの湯で、無味無臭。しばらくつかっていると、体毛にうっすらと
気泡がついていた。ぬるい湯につかりながら海を眺め、顔だけ潮風に当たっていると
のんびりと長湯できる。ここには内湯もあり、その脱衣場には無料で使える
マッサージいすがあった。思わず全機能をフル回転させて使いまくってしまった。
すっかりつかれを取ると、付近の海岸をのんびりと歩いた。とてもきれいで
気持ちのいい海岸だ。水も砂もほんとに美しい。

露天風呂 荒磯館付近の海岸
益田駅前の観光案内所で地図をもらい、多田温泉をめざした。市街から車で10分ほど
走ると、もうそこはどうしょうもない田舎で、車一台通るのがやっとという道をのろのろ
走ってやっと多田温泉白龍館に到着。浴室に入ると、壁面にはなんと水槽が埋め込まれ、
金魚が泳いでいる。浴槽は2つあり、大きなほうは無色透明な人工麦飯石風呂、
小さな方は薄い茶色をした半透明の温泉浴槽になっていた。金山の廃鉱跡から自然湧出した
鉄-カルシウム-硫酸塩冷鉱泉で、源泉温度は13℃と冷たい。浴槽の湯は適温に
加熱されており、切り干し大根のようなわけのわからない薬臭がした。源泉蛇口もあり、
ひねるととても冷たい源泉がでてきた。なんかちょっと薄い感じのする温泉だったが、
体はよく温まった。といったところで、そろそろ今日の宿に向かうことにした。
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