対決!靴磨き少年


 夏の日の昼下がりだった。草原から帰ってきた翌日だった。そして、翌々日にはまた
草原に帰ることになっていた。  
 私はウランバートルの中心街を歩いていた。どんないでたちをしていただろう。たしか、
草原にいる時とそれほど変わらない、Tシャツにジーンズ、そして埃を被って白っぽくな
った革のブーツを履いていた。 
 子供の甲高い声に呼び止められて振り返ると、3人の少年が歩道の縁石に腰掛けて
いる。日に焼けた顔と幾分笑みをたたえた黒い大きな瞳が、いっせいにこちらに向けら
れていた。彼らの足下には、それぞれ、黒ずんだ布きれやブラシ、さんざん絞られて薄
っぺらくなったクリーム・チューブがいくつか置いてある。靴磨きの少年らしい。
「いくら?」
「100トゥグルグ。」
 100トゥクルグは、その頃のレートで日本円になおすと約15円。しかし、市内バスが
100トゥグルグ、ザハで買ったドナルドダックの刺繍入り野球帽(もちろん海賊版だろう)
が1500トゥグルグ(約225円)、一般家庭で使われているポットが1800トゥグルグ(約
270円)という物価である。4週間の旅の半ばにあった私にとって、100トゥグルグは決
して安い値段ではない。さて、どうしたものか。ふと、4日後に草原で開かれる知人の結
婚式のことが頭によぎった。
「このへんで、この汚い靴を磨いておくのもいいかな。」
 足を出すと、一人の少年が磨きはじめた。なかなかいい手つきである。
 
 はじめのうちはよかった。少年は黙々とブーツを磨いている。小さな少年に靴を磨か
せているのが申し訳ないような気がした。しかし、2分もしないうちに状況が変わった。
靴の汚れをとり終わり、黒いクリームを塗り、更に磨き込みはじめていた彼は、半透明
のクリームを指にとり、それを私のブーツの上に置いた。なんとなく嫌な予感がした私は、
「何?」
と聞いてみた。すると、少年は顔を上げ、ニヤリと笑って、
「このクリーム塗ったら、500トゥグルグだかんね。」
 やられた!こいつら、はじめからそのつもりだったな。コンチキショーッ、このまま黙っ
て500トゥグルグ払ってなるものかっ。私はただちに戦闘態勢に入った。
いらないっ。とりなさい!」
 戦闘態勢に入ったって、私のつたないモンゴル語で伝えられるのはこれくらいである。
私は、呪文のようにヘレックイ(いらない)を空しく唱え続けた。
「ビシ、ビシ(だめだめ)。」
と笑い声で答えながら、
彼は磨き続けた。仲間の少年たちも、「ビシ、ビシ。」とはやした
てた。私はむなしい呪文を唱えながら、フツフツと怒りが腹の底にたまっていくのを感じ
ていた。
 磨き終わると彼は、
「500トゥグルグ。」
と、手を出した。私の形相はかなりものすごいものになっていたに違いない。子供相手
に大人げないなんて考えは、これっぽっちも浮かばなかった。
 得意げな彼とは逆に、まわりの少年たちがやや不安そうに私の表情をうかがうように
なってきたのを、私は見逃さなかった。
「100トゥグルグ。」
 私は低くつぶやいた。
「ビシビシ、500トゥグルグ!」
 これくらいでは、彼も引き下がらない。口元にはニヤニヤ笑いさえ浮かべている。
「100トゥグルグって言ったら100トゥグルグなんだよっ!」 
 やけになって日本語で怒鳴り散らすと、さすがの彼も一瞬ひるんだ。
「100、100、100トゥグルグ!んもーっ!そういう約束だったでしょー!私は100トゥグルグ
しか払わないっ!」
 彼の口元からニヤニヤが消えた。やや不安げな面持ちで私を見ると、こう聞いた。
「ソロンゴス(韓国人)?」
 なんでそうなるのかは、よくわからないが、これで彼らがはじめから私を日本人だと見て
声をかけたことがわかった。甘く見られたものである。こうなると、日本人と韓国人の名誉
のためにも頑張らなくてはならない。
「ビシッ!ヤポンフン(ちがうっ、日本人だっ)!そんでもって、100トゥグルグだっ!」 

 私の勢いに少しひるみはじめてはいたが、それでも彼らは攻撃の手を休めようとしなか
った。7.8分は押し問答をしていただろうか。どこからか、彼らの親玉の大男が出てきた
らどうしようと、内心びくびくしながら、そのときはおとなしく500トゥグルグ払って走って逃
げようと覚悟して、私は最後の手段に出た。
「はい、100トゥグルグ!」
と、紙幣を彼につきつけ、あいかわらず「ビシビシ」の一点張りで受け取らない彼に、
「あ、そう、いらないの。じゃあね、バイバイ。」
と、紙幣をひらひらさせて背中を向けた。 数歩行ったところで振り返ると、彼らは放心した
ように私の姿をうかがっている。しめしめ。私は引き返して、さっきの100トゥグルグ紙幣を
もう一度出した。すでに私の勝ちは決まったも同然。声も幾分余裕が出てきて、自分でいう
のもなんだが、慈愛の響きさえ感じられる。
「はい、100トゥグルグ。」 
 彼はしぶしぶ紙幣を受け取った。勝った。くどいようが、最後まで子供相手に大人げない
などという考えは浮かばなかった。ただ、緊張から開放された喜びと、充実感があった。

 20歳になるウランバートルっ子の友人にこの話をした。
 友人は、眉をひそめて言った。
「最近増えているんです。そういうずるいことをする子が。私と妹も、4人くらいの男の子に
で取り囲まれて、サンダルとスニーカーだったのに、黒いクリームを塗られました。
そして、900トゥグルグくれって言うんです。そんなに持ち合わせてなかったし、子供たちは
大声で、このお姉さんたち、僕たちが靴磨いたのにお金払ってくれないってわめくし、困っ
ていたら、通りかかったおばさんが私たちを気の毒がって、代わりにお金を払ってくれた
んです。」
 捨てる神あれば拾う神あり、である。しかし、そうすると、私は日本人だから特別にねら
われたわけではなかったようだ。とすれば、あそこまでムキになって「日本人」を強調する
必要はなかったかもしれない。モンゴルの靴磨き少年の間で「日本の女はキツイ」と評判
になっていたら、ごめんなさい、わたしのせいです。



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