モンゴルに帰省する


 ソウル発のモンゴル航空機の機内はすでに混雑していた。乗客のほぼ全員が両手に大
きな荷物を抱えて、狭い通路を進もうとしている。自分の座席を見つけたにしても、荷物を
どこかに片づけてからでないと、座ろうにも座りようがない。そういう人たちの間をすりぬけ
て先に進もうとすると、今度は自分の荷物がひっかかって前に進めない。
押し合いへし合
いしながら、人々は自分の座席を求めていた。
 今日は12月26日。暮れも押し迫っている。韓国で働いていたモンゴル国の人々が、新正
月を家族と過ごすために帰国するのだろう。乗客の手荷物からのぞいているものは、ラジ
コンの箱やぬいぐるみだ。
 金甫空港のカウンターで手渡された搭乗券は、なぜか相棒のT子と離れた座席番号だっ
た。変なこともあるものだと思ったが、飛行機に乗れないわけではないし、これから先、ず
っと一緒に旅を続けるのだから、3時間くらい離れていたって別にかまやしない。むしろ、
隣に誰が座るのかわからないほうがワクワクする。T子はモンゴル語こそ全然ダメだが、
私よりずっと旅慣れていて、世界中どこででも、笑顔一つでコミュニケーションをとってこれ
る子だから、心配は要らない。
 ようやく自分の座席にたどりついた。三人がけシートの真ん中である。窓際には、すでに
先客が座っていた。30代後半くらいの小柄な男性である。私が立ち止まると、チラリとこち
らを見た。頭は角刈りに近い。やせていて黒めがち。誰かに似ている。あ、歌手の、だれだ
っけ?演歌の・・・そうそう、香田晋。でも日本人じゃないな。モンゴル人?ちがうかも。まわ
りの人々に負けないくらい膨らんだ荷物を、上の荷物入れに押し上げながら、彼の正体に
ついて考えた。荷物入れにはすでに大きなカバンが一つ入っていて、私の荷物は押し込ん
でも押し込んでもはみだした。しかたがない、足下にでも押し込もうと、あきらめて、カバンを
抱えたまま、隣の男性に「サインバイノー」と声をかけた。
 「ザー、サイン。サインバイノー」
モンゴル語だ。笑うとますます香田晋である。
 彼は私の荷物を見ると、なにやら言って、サッと立ち上がり、体を伸ばして荷物入れの扉
を開けた。荷物をあげてくれるつもりらしい。先客のカバンを見つけて「オウ!」と声を上げ
たところを見ると、これは彼の荷物ではないらしい。隣の荷物入れを覗き、空いているのを
確認すると、彼は私の荷物を受け取って入れてくれた。
 これで、なんとか隣のアンチャンとは3時間楽しくやっていけそうである。
「モンゴルニ帰ルノカ?」
片言のモンゴル語で話しかけてみた。
「ああ。」
「カンコクハ、シゴトカ?」 
「・・・?・・・ああ、そうだ。」
 けったいなモンゴル語を喋る正体不明の外国人女性に、いきなり質問攻めである。はじ
めは幾分戸惑いの表情を見せていた彼も、そのうち負けずに質問してきた。
「どこから来たんだ?モンゴル語はどこで習った?モンゴルは初めてか?冬は初めてだろ
う?え?二度目か?モンゴルの冬は寒いだろ?」
 だいぶ、うちとけてきたとき、左隣に人の気配を感じた。化粧のきついオバサマが、ガム
を噛み噛み、人いきれでハフハフいいながら立っている。香田晋に何やら言いながら、自
分の搭乗券を見せた。
「ここだよ。」
香田晋が答えると、彼女は短く礼の言葉を言い、フウフウいいながら、私の左隣の席に腰
を下ろした。座る時、隣の私を一瞥したようだが、無言のままだった。貫禄がある。体もで
かい。香田晋なんか、吹っ飛ばされそうである。姐御というか、太めのドロンジョーというか、
野村沙知代というか、とにかく、そういうカンジのオバサマである。話しかけるのは、ちょっと
待とう。
 オバサマが座るとまもなく、飛行機は離陸した。
 香田晋はオバサマとにこやかに話しだした。オバサマも、幾分めんどくさそうだが答えて
いる。そのうち冗談も出てきたのか、二人は時々笑い声をあげた。当然のことながら、私
には何もわからん。頭の上を滑らかなモンゴル語が通りすぎていく。モンゴル語は聞いて
いるだけでも気持ちがいい。抑揚があまりないが、リズミカルで、おだやかな気持ちになる。
こんなふうに感じるのは、私のモンゴル病が重症なせいなのかもしれない。しかし、さっき
までの混雑で少しとんがっていた神経が、ゆるゆるとほどけていくのがわかった。
 少しウトウトしていると、香田晋の声がした。
「灯りがついてる。ウランバートルだぞ。」
離陸して30分も経っていない。もちろん冗談のつもりだろう。オバサマはケケケと笑って、
「ちがうわ。中国よ。この飛行機は中国に行くのよ。」
と冗談を言った。
「ワハハ、彼女は中国嫌いなんだぞ。」
 へ?誰のことだと、香田晋を見ると、彼は私を見てニコニコしている。
 去年の冬、北京経由でモンゴルをめざし、たった一泊の北京泊で神経をすり減らした。
さっき、そのことを彼に話したつもりなのだが、やはり充分には理解されなかったらしい。
 オバサマの表情はパッと変わった。目を大きく見開き、身を乗り出して、
「あんた、中国きらいなの?ワハハハハ。」
何がおかしいのか、さっぱりわからない。
「彼女はモンゴル語を話せるよ。日本で習ったんだと。」
香田晋は、得意そうに説明を付け加えた。
「コンニチハ、ドーゾ、ヨロシク。」
しかたがないから、オバサマに今更ながらの挨拶をする。オバサマは目を細めて、
「ンーン。」
と、うなずいた。よくできました、という表情である。カタコトのモンゴル語を喋る日本の女は、
どうも子供っぽく見えるものらしい。おかげで、モンゴルでは年配の人たちに可愛がってもら
える。このオバサマも、ようやく親しみを持ってくれたらしい。
「モンゴルは初めて?」
「イエ、5カイ。」
「今は寒いわよー。鼻の中が凍っちゃうわよ。」
「ア、去年、コオッタ。メガネモ、コオッタ。」
「ワハハハハ。田舎は行くの?」
「イク、タブン。」
「しばれるわよー。ワハハハハ。」
豪快に笑うオバサマである。
「アナタハ、韓国ニ、ドレクライ、タイザイシマシタカ?」
香田晋に尋ねると、
「3か月。」
という返事が返ってきた。
「何ノ仕事シマシタカ?」
「ギター弾いてたのさ。」
と答えて、香田晋はへへへと笑った。
「ホント!?」
「へへへへへ。ホント、ホント。」
・・・あやしい。
オバサマは、誇らしげに言った。
「あたしは1年働いたわ。」

 そうこうしているうちに、機内食が運ばれてきた。メインデッシュの皿のアルミを取ると、中
は鶏肉の甘煮だった。オバサマは、アルミをはずすと歓声をあげ、こちらの皿の中を見た。
香田晋も鶏肉である。しかし、オバサマは牛肉だったのだ。
「牛肉よ、牛、モンゴルの牛かしら?」
オバサマの声がはずんでいる。香田晋は、返事をしないで食べはじめた。オバサマは気に
せずはしゃぎ続ける。そして、通りがかったスチュワーデスに、
「ね、この肉、どこの肉?モンゴル?」
と、尋ねた。スチュワーデスは、ウフフと笑ってオバサマを軽くこづき、
「韓国の牛よ。」
と答えて行ってしまった。それでも、オバサマは嬉しそうに食べる。オバサマの脳裏には、
まもなく食べられるはずのモンゴルの肉の味が浮かんでいるのだろう。

機内食のトレーが片づけられてしばらくすると、後ろの席から小さな歓声が聞こえてきた。
「おい、灯りが見えるぞ。」
声につられて窓の外を見ると、下の方にかすかな灯が見えた。
「車の灯だよ。このあたりは誰も住んでいない。」
香田晋が教えてくれた。
「下ハ、モンゴル?」
窓の外を見つめたまま、彼は大きくうなづいた。
機内がざわめき出した気がした。笑みを含んだモンゴル語のささやきが、あちこちから
聞こえてくる。香田晋に肩をつつかれて窓を見ると、また灯が見えた。
「ゲルだ。」
後ろの席からまた声が聞こえた。
「俺んちだぞ。」
 アナウンスが入った。ウランバートルは雪。外気温は−30度以下らしい。
「ヤーナ!」
機内中から感嘆の声が上がった。しかし、その声にはどこか嬉しそうな響きがある。
オバサマが嬉しそうに言った。
「鼻が凍って、とれちゃうわよ!」
飛行機が右に旋回すると、窓にウランバートルの灯が見えた。
香田晋もオバサマも、窓を見つめて声はない。私も同じように街の灯をみつめた。
モンゴルに帰ってきたのだ。
後ろからまた、声がした。
「ウランバートルは、なんてきれいなんだろう。」

空港は、出迎えの人で混雑していた。人を呼ぶ声があちこちで起こる。かたく握手を交わ
す者、抱き合って喜ぶ者、お母さんらしき人の肩で涙する若者。そんな人垣をかいくぐって、
私もまた、出迎えの友を探した。


エッセイMENUへ

TOPへもどる