安部公房「没後10年」
  

 東京の世田谷文学館で『安部公房展』が開催されましたね。平成15年9月27日から11月3日までの約一ヶ月間、ちょうど安部公房が亡くなって10年だそうです。 この展覧会は、次のような三部構成だったそうですが、いやあ、気がつかなかったなあ。
  第1部 初期「詩作から小説へ」
  第2部 中期「プロットの展開」
  第3部 後期「構造の実験」
 そうそう、あのガリ版刷り自費出版詩集『無名詩集』、写真ではよく紹介されていて見たことがあったけど、実物を見たのは初めてでした。 感激。触りたかった。でも、ガラスが邪魔して触れませんでした。



 生前、彼が愛用していたカメラも展示されてましたね。コンタックスとミノルタが多かった。彼の父親もカメラが好きだったそうで、その影響らしいですよ。 『イメージの展覧会』のビデオ編集された映像もモニタから流れてました。音はいくつか置かれたヘッドフォンを通して聞くんですが、どのヘッドフォンも接触が悪いのか、 音がすぐに途切れてしまって・・・。安部公房のシンセ楽曲、まともに聞けませんでした。
 それと、おもしろかったのが、『飛ぶ男−繭の内側』と題するインスタレーション映像。安部公房自身が撮影した写真一万枚の中から一千枚を使ったそうです。 あっ、詳しい解説シートを入手しました(下の画像)ので、読みたい方はクリックしてみてくださいな。



 「世界文学」の最も輝かしい旗手でありアメリカや西欧諸国は勿論、ソ連圏でも絶大な支持を得た安部公房、 わが国でも珍しい「シュール・レアリスム」の小説的な開花と言える作品からSFチックな未来小説、斬新で大胆な演劇活動など、 その多彩な活躍を21世紀に甦らせよう、というのが、この「安部公房展」の主旨なのであります。が・・・
 私はふと思ったのでありました。安部公房にせよ、三島由紀夫や川端康成にせよ、日本の戦後の文学は、国語の教科書以外は、 後に残らない。いや、文学に限らず、芸術全般、そうした文化と呼べるはずのものは、珍品・逸品みたいな骨董的価値観であるお宝として以外は、 何も築かれてはいないのではないのかなあ?
 日本の戦後には、流行があっても文化はないのかもしれないですね。 つまり、どんなに文化的なものであっても流行としか捉えられてこなかった。事実、最近になって、安部公房の話をある酒の席で話すことあったんですけど、 「そういやあ、その人の小説、流行った時があったねえ」ですって。 文明は塗り替えられ、文化は蓄積される、そういう時代観とは別に、文化はあたかも万国博覧会やオリンピックのように、 人の動員による経済効果という面でのイベントでしかない、そういう戦後日本の社会に象徴されるように、 文化も流行のひとつ、それが日本なんでしょうねえ。ああ、淋しい。
 もちろん、戦前、さらには、もっと昔、因習というか伝統なのかえ、そういう昔から伝えられているものは、 ある意味で極めて保守的かつ極めて閉鎖的に守られていて、その家系でしか入り込む余地がない、 天皇制度的な文化としてぬくぬくと育まれておりますが、 音楽にしても文学にしても、戦後はすべて流行歌であり、流行作家作品なんでしょうねえ。
 何が言いたいかと言うと、今回の「安部公房展」、主旨はそのとおりなんでしょうが、 例えば、安部公房の位置付けとして、もしシュールレアリスム、いわゆる超現実主義の系列を持ち出すとなると、 それは、日本には系列として作られないのですね。輸入されたアンドレ・ブルトンやその取りまきの作家連中、そして、 仲間としていたかどうか分かりませんが、絵画で言えばサルバドール・ダリ、こうした系列と蓄積は、 日本ではありえない。そのくくりに入れらはずなのだけれど、日本では、所詮、現代文学の一流行作家にならざるを得ない。
 これは、実は、戦後の日本は、とにかく経済を成長させねばならない、そこでは文化も商業の一商品。 これ、アメリカに近いですけどね。アメリカって、ヨーロッパと比べると、 歴史がないから、逆に歴史を大事にしなくてもいい、 なんでもあり、はい、明日だけ考えましょう、 「Gone To The Wind」ですもんね。でも、 映画の世界は、黒澤明を筆頭に、小津安二郎、そして溝口さんなど、海外がその蓄積の中に 位置付けてくれていますよね。実は、小説家、或いは戯曲作家として、安部公房もその一人であることを 日本人は誰も知らない、あな、悲しや。いい加減、高度成長時代じゃあないのだから、それこそ、 いつまでも右肩上がりの幻想を追わないで、 見落としていたものを見つめなおすとき、 それが日本の21世紀じゃないんでしょうか。

 追記・・・後日、予約しておいた「安部公房展図録」が届きました。とうとう発行が会期中には間に合わなかったようですね。

 しかし、これほど立派な図録とは思いもよりませんでした。会場の様子が伝わってくるばかりでなく、 多くの方の寄稿文が、安部文学を改めて考えさせてくれます。その中でも、安部・ベケット・カフカの小説について書かれた『疎外の構図』の著者であられる ウイリアム・カリー氏の文章があります。引用させてください。
 「安部公房の死から十年たって、ひどくがっかりしていることがある。それは、日本の若者の多くが安部作品を知らないことである。 実際、その名前さえ知らない者が多い。それにひきかえ、外国では安部研究のひそかなリヴァイヴァルがあるようで、 とりわけ北アメリカやヨーロッパでは、多くの若手研究家が安部の小説・戯曲・評論に関する博士論文に取り組んでいる。」
 しかし、この現象を若者の活字離れということでは済ませられないと思います。先に書きましたとおり、日本における文化の在り方が 日本的であることに依存しない限り、流行現象でしかない悲劇があるんでしょうね。カリー氏は、最後にこう結んでいます。また、引用させてください。
 「五十年後に、安部は日本文学史においてどのように評価されるだろうか。純粋な美学的視点と、私小説―安部の時代まで根強かった―の限界、その両方から脱却した先駆的な日本の作家とみなされるだろうと私は思う。 日本人であることを強烈に意識しないで書くことを選んだ点でも革新的であった。安部公房は、世界のなかで存在するとはどういう意味があるかということに関してさまざまな想像的・哲学的考察を示したわけだが、 その過程で国籍を超えた人間観に到達しようとしていた。日本の小説家・劇作家・評論家としてはじめて、グローバルな社会のために書いたことになる。」
 確かにそうであると思います。しかし、海外からは、そう見られるかもしれませんが、肝心かなめの日本において、果たして日本的因習文化以外を文化として捉えられない日本人に、 彼を再評価するベースがあるのでしょうか。そう危惧しながらも、ウイリアム・カリー氏の言葉を信じてやみません。