安部公房と私


 私は、えらいときに安部公房の作品に出会ったらしい。 安部公房の人や作品を語る批評家や小説家、SF関係者は、既に、それらを自らの生業にしており、 安部公房の作品に対し、それなりの分別と、自らの職業精神のもとに、安部公房という人を客観的に捉えてられる。 つまり、自分を見失うことなく、自分の判断力や眼力で、安部公房作品を把握してらっしゃる。 だから、立派な評論やエッセイとして、今も安部氏の作品を読み解くのに解読書として非常にユースフルである。
 ところがだ、私は、いかんせん、これから自らの生き方や思考回路の形成などといった大切な自己形成の時期に安部公房作品に染まってしまった。 先人のような確固たる自分が、まだ中途半端なときにである。
 文学とか、国語とか、そんな1+1=2という明快な答えを出せない代物を忌み嫌いながら、 教育に対する良い子と悪い子の両輪を履いて学校生活を送りながらも、ある時期に、大いなる懐疑と自己欺瞞、社会批難と自己批判の真っ只中、 はしかのように太宰病に罹り、それから脱出するように思考能力を確かなものにしようとした、そのテキストが、学校の教科書ではなく、 安部公房の作品だったのだ。確か、その入口は『第四間氷期』だったと思うが。否、『壁』だったかもしれない。とにかく、そういうことで、文学を一つの道楽や、ひとつのジャンルとして味わう、そんなゆとりなどなかった。
 試行錯誤の手探り状態の中、私の先にある暗闇を一つの鞄が飛んでいく、その鞄の中身こそ自分のバイブルがある、そういった切羽詰った状況で、 安部作品にすがりついた。おかげで、私の今日までのさまざまな場面での判断や決定行動する際の 思考回路は、安部公房の思考錯誤の際のモジュール化された回路になってしまった。
 そうして書いた文章に『壁』と題するものがある。高校時代に書いたものである。このHPにある『壁』である。その文章の最後のほう、以下のようなくだりがある。

「先日、数名が集まって、ある部屋の壁色の塗り替えを行なった。・・・(略)・・・作業の最中、僕はMさんが身につけていた服装 が壁のライトブルーと同色であるのに目を見張った。・・・(略)・・・ ならば、同化して壁になりきってしまいたいのか? その問いは、酷い不審をを抱かせ る。同化がもし壁になりきってしまうことなら、そこで、もう壁への認識は皆無になって しまう。僕が意味するところの同化とは、まったく逆で、認識の最大値をとってくれるも の。そして壁への認識は、同時に自分自身への認識となる。壁の頑丈さを知り、自分の弱 さを知る。壁の冷たさを感じ、自分の体温からの生命を感じる。
 壁は頑固とした物質。そして、壁の存在否定は、ここから始まる。肯定された壁に、思 いを託して自分の世界を描く。それが新しい世界が開ける時。そこには、まさに壁を無く した世界がある。その存在の否定。しかしそれは、肯定された上に形成され、「やはり」 という言葉が肯定へ促す。そこへ辿り着く以前の僕は、今、壁に身を委ねる。」

 私は大学の最終学年度に教育実習で母校の高校を訪れた。その際のテキストとして、ちょうど現代国語の教科書に安部氏の『棒』が掲載されていたので、それを選んだ。 2クラスを受け持ったが、1クラスはグループ討論で「棒であることとはどういうことか」をテーマにしたが、みんなが棒然自失状態で終わった。 もう1クラスは、「シュールレアリズム手法」をテーマにしたが、最後にダリやマグリッドの絵を見せることで終わった。 教育実習の成果はなんだったのだろう、渡り廊下からポカーンと遠くを見ていた私は、そのままでいたら、私自身が棒になってしまってたかもしれない。 否、実は既にその時から棒になっているのかもしれない。
 壁という即物的なものに、精神や思想などあるはずがない、でも、その確固たる物質の、確固たる思考の拒絶反応に、 私は、考えることの徒労と、その終焉から始まる打開すべき手立てが、自分に明日を与えてくれた。 あいかわらず、日常の世界における日常の各種甘味料や試練乳は、私にとって、何も与えてくれはしないが、 ふと思い出す作品の主人公が置かれた状況下を自らに照らし合わせると、どこを歩けばいいか分からない砂漠の中に道が見えてくる、のである。